〜最終章〜
10.衝撃のワンシーン 「天野さん朝のうちに帰ったわよ。」 爆睡を続け、目を覚ましたのはお昼前だった。 重い身体を起こしてシャワーを浴びて台所に行くと真実子さんがお昼の用意をしているところだった。 「ごめんなさい、ちょっと起きれなくって…」 「そうみたいね。事務所にはわたしから連絡入れておいたから。『熱があるみたいなんで休ませます』って」 「ありがとう、助かったわ」 昨日の、聞こえてるかも知れないよね?子供達は一度寝ると朝まで起きないけれども、真実子さんや親父さんは結構遅くまで起きてるし。 「天野くんが来てるのもわかってたんだけどね〜お邪魔だと思って顔出さなかったのよ。『無理させたんですみません』ってあんな顔、滅多に見られないイイモノ見せてもらったわ。」 いったいどんな顔を見せたの?? 「子供達は久々に天野くんと朝食食べれたんで、ご機嫌で学校に行ったけど」 朝食まで食べていったの??もう、そういうとこはしっかりしてる…って、あのひと朝は超寝起き悪いし食欲もまばらなんだけど、もしかしてあれからあんまり寝てないとか? 「目の下に隈作るほど何やってたんだって、哲さん呆れてたわよ。」 あちゃー親父さんとも遭遇してたのね?寝てないんだったらそのまま誰とも会わずに帰ればいいのに、なに律儀なコトしてるんだろう? 昨日の彼の言葉が甦る。『オレの生活からおまえも雅鷹もこの家の家族も、もう切り離せねえんだよ!』って、うちの家族のこと凄く大切にしてくるれてるってことだよね? 「あのね、実は…事務所辞めた方がいいかもって思ってるの。あのひとにはまだ言ってないけど、わたしたちのことや雅鷹の父親が誰なのかってこと、ある人に気付かれたっぽくって…」 「そう……でも天野くん言ってたわよ。今日は休んでも明日必ず出てくるようにって。あなたじゃないとだめなんだって」 「わたしじゃないと?」 「信用してるってことじゃない?あんな世界、裏切りも乗り換えも日常茶飯事でしょう?所属してた事務所だって酷いことになってるじゃない。えっと、ニンセンドーだっけ、良が持ってるゲームの会社の名前になっちゃったんでしょ?内部分裂とか帝国崩壊とか色々言われてるじゃない。」 真実子さん、さすが主婦です。ワイドショー見尽くしてますね?それを一緒に雅鷹が見てるのは間違いないと思うけど…… 「そんな世界で信じられる人ってごくわずかなんじゃない?お金とか地位とか名誉とか、そんなモノでは揺るがない関係、最低最悪の立場になっても味方してくれる人ってそういないと思うわ。だから、里理ちゃんの存在って天野くんには必要なんじゃないかしら?」 「そう、かな…」 事務所には御園さんも居るし、濱野さんだって居る。わたしは電話番と雑用しかしてないのに?今からのあのひとに必要なのは二人のようなブレーンだし、なっくんのように信用出来てフットワークの軽い人も必要だわ。でも、わたしに何が出来るって言うんだろう?また前みたいに食事に身の回りの世話とか健康管理?それからえっちの相手させるため?そんなの家にいても出来ることばかりなのに。 取りあえずその日は休んで、翌日事務所には早めに顔をだした。 「おはようございます。」 事務所の応接用の椅子には、疲れた顔の御園さんと苦笑いしてるなっくんが座っていた。 「おはよう、サトちゃん。濃いめの珈琲と、何か朝ご飯頼んでいい?」 なっくんが一昨日の夜のことはまるで忘れたが如く普通にそう話しかけてくれたのが嬉しかった。 あれ、無かったことにしてもいいのかな?そう都合良く解釈したんだけど。 「いいけど、もしかして…徹夜したの?」 「まあね、ちょっとは寝たけど。昨日朝早くに呼び出された上に、今朝までここに泊まりだったもんだから…サトちゃん休みだったからまともなもの食べて無いんだよね、みんな。」 ぼりぼりと頭を掻くなっくんは、手伝うからと言って給湯室代わりの簡易台所までついてきた。 「ね、もしかして……一昨日の夜、オレが帰ったあと、あの人来てた?」 「え?」 思わず息を呑んでなっくんの顔を凝視してしまった。 「やっぱ?そっか……昨日サトちゃん休むし、そうじゃないかなって。けどさ、もう来ないつもりかなって思ったんだけど。」 やっぱり無かったことには出来ないらしい。 「だって、すぐに辞めるのは無理だよ……今、急に辞めても迷惑かけるし」 理由もなく辞めるなんて出来ないしね。でも、そう先じゃないつもりではいる。このままなんて無理っぽいから。 「でも泊まり込みなんて滅多に無いでしょ?何かあったの?」 「昨日、あの人が朝方まで行方不明で大変だったんだよ。」 「ゆ、行方不明って…」 うちにいただけなのに、そういうことになってるの? 「朝早くにあの人起こすの御園さんだから。朝からの仕事はいってるのに、事務所に姿なくって探しまくったらしいよ。そしたらふらっと帰ってきて、朝飯食いに行ってたいうんだけど、どうもおかしいって。」 「おかしいって…?」 「ベッドで寝た形跡がないって…あの人は事務所のソファで仮眠取ったって言ってるけど。御園さんって鋭いよね。」 マネージャーとしてなのか、それとも女としてなのか…どちらにしても怖い。 「だからさ、昨夜はオレが見張り番。御園さんもなんだかんだ言って残って仕事して徹夜に近いんだよ。オレはソファで仮眠したけど、キツいっす。」 だから昨夜はメールだけで電話も掛かって来なかったのね?『大丈夫か』って一言メールだったけど。 「サトちゃん…やっぱ、オレとつきあってることにしない?」 「な、なっくん」 「このままだとヤバイよ。御園さん相手の女を突き止めるつもりでいるよ?御園さんも今までのキャリア全部捨てて、天野さんに付いてきたんだよ。一枚看板のあの人のことにはすごく執着してる…濱野さんはプライベートに口出さない人だからいいんだけど、御園さんは見ててちょっと怖いよ。だから、すぐに別れろとかは言わないからさ。とにかく、しばらくは仕事以外では逢わない方がいいって」 「……わかったわ、そうする。」 ここは聞いておくべきだよね?心配して言ってくれてるんだし、なっくんが味方ならもうしばらくはここに居ても大丈夫だよね?他にばらすつもりはないみたいだし、そうすればある意味安全かもしれない。見張りに付いてるのが彼なら… その後は何だかまた気まずくて、二人そのまま押し黙って作業を始めた。取りあえずサンドイッチでも作ろうと材料を揃えてると、『コレ塗れば良いんだよね?』って、なっくんはパンにからしマヨネーズを塗ってくれたりする。なかなかの手際いいので驚いてしまった。 「へえ、なっくんって家事出来るんだ?」 「そりゃね、独り暮らし長いし、イマドキ料理の一つも出来ないと女の子にモテないんっス。」 そう言って爽やかに微笑む彼からはよく彼女の話聞いたっけ?そこそこモテるのか、いつも恋愛を楽しんでるような少年だった。惚れっぽくって、でも長続きしなくって…その原因はほとんどが仕事で、気軽に付き合い出す分気軽に別れてしまうんだと言ってたけど。 そういえば、どっかの誰かはご飯に変なものかけるぐらいしか出来ないんじゃなかったかな?わたしが見てないと偏食繰り返すし、料理らしい料理なんて作ったところ見たこと無い。 簡単に材料を挟んで珈琲を添えて事務所に持っていく。もちろんなっくんが運んでくれるからすごく楽なんだけど。 「おまたせしました。」 事務所の応接テーブルの上に置くと、御園さんとそれから先ほど起きてきたばかりっぽいあのひとが、ぼーっとした顔でやって来てソファにどかりと座った。 「なに、今日はパン?」 「サトちゃんの手作りサンドイッチですよ?オレも手伝いましたけど、きっと美味いですよ〜」 不機嫌そうなあのひとに比べるとなんて爽やかなんだ、なっくん。 「オレ、ご飯とみそ汁が食いてえ」 この、我が侭芸能人が…!!目の前にサンドイッチがあるのに言うかな? 「すみません、ご飯今から炊いてたら間に合わないので。皆さんのもあるから、これで我慢してください」 ふるふると怒りを抑えながら引きつった笑顔を作る。 その時、にやっと笑う口元を見て理解した。きっとわかって言ってるんだ、このひとは… 楽しい朝食風景ってわけじゃないけど、殺伐としてるのはなぜ?? 「美味しいッスね、、サトちゃんの料理はいつも」 「あら、なっくんも手伝ってくれたじゃない?男の子でも料理が出来るなんて感心だわ。」 「そんなことないですよ、サトちゃんの料理はマジ美味いですから!」 わざとらしく盛り上がってるのはわたしとなっくんだけ。なんか褒め合ってどうするって感じで、ちらっと見るとあのひとの眉間に皺が入って、不機嫌そうに珈琲だけ飲んでる。意地でもサンドイッチ食べないつもりなのだろうか? 「仲いいわね、あなた達。」 御園さんもそう言いながら顔は笑ってない。もともとノリの悪いというかクールなタイプで何を考えてるのかわからない節があるけど。だからこの言葉も冗談でなく本気で言ってるのだと判るけど… 「そうですよ、僕ら付き合い長いっすから。それに、今は唯一の同僚だし?ね〜サトちゃん」 「え、ええ…」 「一昨日も一緒に飲みに行ったしね。」 にっこり笑わないでよ、なっくん!!でも、御園さんも少しほっとしたような表情…やっぱり疑われてたの?? そんな会話にも入ろうともしない不機嫌男が珈琲を置いて立ち上がった。 「サト、昼は和食な?」 急にそんなこと振ってこないでよ!朝食べてる時にもう昼の献立考えろって言うんですか?? 「えっと、お昼ですか?仕事は…」 「今日は午後からなの。ここのところスケジュール入れすぎてたし、朝早いの駄目みたいだし。ここじゃちゃんと休めないのかもしれないわね。そろそろ部屋に帰ってもいいように手を回しておくわ。仕事も契約も落ち着いてきたし、いつまでもここで寝泊まりって訳にはいかないでしょうから。」 マンションに戻るの?そうすればもう呼び出されることもない。でも、あっちは記者とかの見張りは多少でも残るから、行けないし来れない?だったらまたご飯とかどうするんだろう…ってわたしはいつまでたってもその心配ばかり? 「へえ、戻ってイイの?」 「でも張り付いてる写真週刊誌を追い払うのは難しいわ。今、J&Mの庇護下を抜けた人たちは軒並み見張られてるから。事務所に力があれば別なんだけれども…そういう意味では緋川さんや他のメンバーはある程度安心かも知れないわね。バックがしっかりしてる事務所だから。でも、ニンセンドーに残ったメンバーはそんなわけにもいかなくて苦労してるみたいだけど。」 やっぱりストームのこと言ってるのかな?でもアレは守りきれないって感じだよね。 「一度狙われるとしつこいからな、あいつら…善意も悪意もへったくそれもない、ただ記事がデカけりゃいいんだ。上手く扱えばタダで宣伝してくれる美味しい媒体なんだけどな。」 め、珍しい!このひとがマジに語ってる。そういうの肌身に染みてるんだろうな…前にスニーカーズの晃一くんと彼女の逢い引きに手を貸したことがあったけど、あの時だってマスコミを利用したんだ。<謎の美少女>をでっち上げたりして。でないとお笑い芸人であるあの子、ナツキちゃんの立場は酷くなるだけだったから。今は徐々に舞台以外のでドラマでお笑いじゃなく女優路線に動いてるみたいだけど。 あの頃は……もう少し自由に動けたな。数ヶ月前のことが懐かしく思いだせた。 仕事だって、言われた通り動けば良かった。でも、今のこのひとは仕事を選び、自分のすすむべき方向もそれなりに自分でプロデュースして行かなくちゃならない。そのために濱野さんと御園さんが付いてるわけだけれども、最終決定するのは今のところこのひと自身だ。もう勝手なこと出来ない、関わってる人の人生まで背負い込んでるから。だからなっくんだってあんなこと言い出すんだわ。 それから買い出しに出掛けて、しっかり昼食に和食を堪能したあのひとは仕事に出向いて行った。今日はレギュラー番組の録りと、打ち合わせだけらしい。 その日、メールで『早く帰れ 今日は来なくていい』なんて入ってたけど、翌日もまたなっくんが泊まりで、しばらくは事務所に行かなくても済んだのは楽だけど少しだけ寂しかった。 「おはようございます」 早朝の事務所には誰も居なかった。スケジュールボードを見ると、あのひとは今日も昼前から仕事が入ってる。 さすがになっくんも連日の泊まり込みはキツかったみたいで、ボードを見たら一時帰宅になっていた。 今ここにいるのは……御園さん? ふとあの人のいるはずの奥の部屋のドアを見た。すこしだけ薄く開いたドアの隙間に見えた影が動く。 え?? 影が揺れて、重なる。あのひとに…… わたしは急いで給湯室代わりの台所に飛び込んだ。 うそ……キス、してた?? でもって、わたしが逃げてどうするの?あのひとは……わたしの、なのに…… わたしの、って。 そう思っちゃいけないって、ずっと思ってたけど、でも、やっぱり嫌だ。 他の人がキスするのも、あのひとが他の人抱くのもイヤ…… 無意識にお湯を沸かしていた。 そうだ、珈琲でも入れて落ち着こう。そうすると香ばしい珈琲豆の香りが給湯室に広がる。少しだけ落ち着いた気になるけれども、さっきの映像が甦ってくる。 あのひとからしたわけじゃない。いかにも寝てるあのひとにしてるって感じだった。 だって、もしあのひとが起きてたら、こっちからキスしようもんならすぐさま腕引かれて体制逆転されて組み敷かれてキツいキス返されて、そのまま首筋舐められてそのまま最後までフルコースいかれちゃうはず…誘ったおまえが悪いとか言って。 だから、違う……そう思いたい。 薄々わかってたけど、やっぱり御園さんはあのひとのことすきだったんだ。だから付いてきて、ここまで尽くしてくれてるんだ。 でも、あのひとは御園さんの気持ち、知ってるのだろうか? 「あら、良い香りがすると思ったら珈琲?わたしにももらえるかしら。」 思考に沈んでいる背中に、不意に声が掛かる。 「あ、はい。今準備してるところですのでお持ちしますね。」 気が付かない振りして返事を返す。だめ、キスぐらいで狼狽えちゃ…ドラマや映画でもあるんだから、不可抗力のキスなんて。 それ以上のこといつもされてるし、これが愛されてなきゃどうなのって言うぐらい身体に言い聞かされてるはずだもの。 触れてくるかさついた唇の感触、舌で唇を舐める動物的な仕草も、わたしの目を見据えながら挑んでくる行為も、今は全部わたしだけの物だ。わたしだけが知ってるはずのこと。 ゆっくりと自分を落ち着かせて応接テーブルに珈琲を運ぶ。 「どうぞ」 「ありがとう、いただくわ」 優雅なしぐさで珈琲を飲む彼女の前に座ってわたしも珈琲を手にとった。 「さっき、見てたでしょ?」 「え?」 思わずぐらりとカップが揺れて、熱い珈琲の滴が手に掛かったけれども、そのことが気にならないほど動揺していた。 見られてるの、わかってたっていうの?? 「しょうがないのよね、あのひと。わたしがキスしないと起きないから。」 ええ??う、嘘でしょ!? |