〜最終章〜
15.喪失 御園さんの表情は青ざめていたと思う。 わたしと雅鷹のことは彼女の予想の範囲外で、どう対処していいのかというよりも、感情の持って行き場がないようだった。 暢気ななっくんのおかげで最悪の雰囲気にはならなかったから良かったけれども…… 「んじゃ、オレ御園さん送ってきます。今日は3時から収録入ってますから、2時に天野さん迎えに来ますけど、ここでいいんっすか?」 「ああ、ここに来てくれ」 すっかり眠ってしまった雅鷹を抱っこしてる彼を、なっくんがニヤニヤ笑いながらみていた。 「そうやって見てると、天野さんパパしてますね〜なんかすっげぇ、いいですよ。今度のもばっちりじゃないですか?」 「だろ?」 二人して不敵な笑顔を返してる。こういう時って腹黒なの丸出しなんだから…… たぶん、御園さんはこんな彼を知らないだろうね。こういう本性見せるのってよっぽど気を許した相手か付き合いの長い相手だけだから。仏頂面やめんどくさがってるとこは見せても、それはこの人の計算だったりするからね。自分がついてなきゃって思わせるとこ、ほんとに上手いのよね。 よかった、親父さんと真美子さんが部屋を出た後で。 夜中なのにハイテンションのままのなっくんと、対照的に酷く思い詰めた顔したままの御園さんを見送ったら、もう夜中じゃなくて明け方近かった。彼は雅鷹をベビーベッドに寝かせると、何も言わずに押入から自分の分の布団を出してきてわたしの布団の隣に敷いた。 慣れたもんだわね。なんかスターが布団敷く姿って程庶民的すぎてファンには見せられないんだけど、このひとは異常に布団やコタツが似合うからコワイ。コタツなんか愛しちゃってるから夏でも出たままだし、一人の時はベッドがあっても使わないっていうほど庶民派だけどね。噂じゃ緋川さんや美波さんは裸でシルクのシーツにくるまって寝てるとかって話しだけどえらい差ね。前にスニーカーズの澤井王子の方に頼まれて、ナツキちゃんって彼女の変装に付き合った時にちらっと彼女から聞いたんだけど、王子様も裸で寝る癖があるとか……この人もトランクス一枚で寝ちゃうけど、確かにうつぶせで枕抱え込んで寝てる背中の肩胛骨はちょっとセクシーに見えるかも?ダンスやってるから、無駄な肉はついてなくて、踊りに必要な筋肉でしっかり引き締まってるからね。 「サト、こっちこいよ」 「うん」 呼ばれて布団の上の彼の隣に座る。片膝立てたまんまの彼はこっちをじーっと見てる。いつもなら押し倒されて有無を言わず攻め立てられるパターンだけれども、さすがに今日は済マークが付いてるので、何かされるって緊張も気構えもない。 「待たせたな……長いこと」 「ん……」 入籍、同居。彼は早々にその手配をするつもりでいるらしい。婚姻届も雅鷹の認知の書類も、前から用意してあるから、あとは出すだけ状態だし、引っ越しと言っても、このひとのマンションには、わたしたちの私物は隠してはあるけれども前からあるし、今さら準備することなんてほとんど何もないんだけど…… 「式とか、今さらあげらんねえだろうけど、いつかおまえがウエディングドレス着てるとこみてえな。」 「そうだね、落ち着いたら……」 そりゃ着たかったけど、雅鷹産んじゃったしね。式あげるより何より、雅鷹を認知してもらって、正式に奥さんになれる事の方が嬉しいに決まってる。 「これ、明日っからはめてろ」 彼がポケットから出したのはシンプルなデザインのマリッジリング。左手を取られて、それはわたしの薬指にぴったりと収まった。 「俺はコレな。仕事柄しょっちゅうはずしてるだろうけど、おめえといる時は、なるべくつけるようにすっからよ」 手渡されたのは少しサイズの大きいペアリング。男性の割に指が細いから、わたしとそんなにサイズは変わらなかったはずだ。 「つけて」 差し出された手に、厳かな気分で指輪を通す。わたしはパジャマで、彼はTシャツとトランクス。だけどこれは二人だけの結婚式。 「明日、仕事行く前に届け出してくるから。おめえも引っ越しの準備して置けよな。まーの荷物だとかあるだろ?それともまだ当分こっちにも世話になる時もあるんだから、そのままおいて置いて新たに買うか?明日は無理だけど、明後日の午前中に制作発表がある。その後時間あるから、その間に夏人に荷物運ばせるから。しばらくは俺のマンションから出す気はねえぞ、それでいいな?」 「は、はい」 いよいよ、ううん、ようやく一緒になれる日が来たんだ……今まで笑ってきたけど、大丈夫って口にしてきたけど、本当は寂しかった。普通の結婚したかったし、誰にでも胸張れるような立場になりたかった。形も、気持ちも…… 「里理、今まで……悪かったな」 「ううん、いいの」 「その代わり、ぜってぇ、はなさねぇ……おめえも、まーも、な?」 「うん」 抱きしめられて、その胸の中で深く息をすると、またこの人の匂いでわたしが一杯になってしまう。クラクラとその香りに溺れ、またゆっくりと身体が倒されていく。 「サト、もう一回だけ、抱いていいか?今、何も無しで繋がりたい……」 「ん……あたしも」 激しい行為じゃない、優しく触れあって、肌の全部をあわせて一つになりたかった。ゆっくりと繋がりあったあと、波に揺られるように揺すぶられながら穏やかな交わりを続けていた。 「サト、俺の……」 『奥さん』と掠れるような声で耳元に落とされる。 「あ……」 「ナカ、反応してるぞ?あれだけヤッタ後だから、最後までするつもり無かったのに、煽りやがって」 「だって、あっ……ん、雅弘さんも、元気になってるじゃない……」 「あったりまえだ、俺だって嬉しいんだよっ!おめえと、やっと本物の夫婦に、家族になれるんだ。もう逃げらんねえぞ?わかってんのか?」 「わたしで、いいんだよね?本当に……」 「ああ、おめえじゃなきゃ駄目なんだ。サトの前でだけ、俺は本当の俺になれるんだ……本当に俺のことわかってくれて、俺のこと一番に考えてくれる。おめえは最初っから見返りの一つも求めてきたことなかったろ?なのに俺に言われるまま世話焼いてくれて、なのにちっとも俺のもんになんなくて……ムキになってたら、そのままハマっちまってた。さとが俺の仕事のこと応援してくれてる限り、俺はこの仕事やめねえよ。そのかわり、おめえのことも離さねえって、隠さねえって決めたんだ。」 一番近い場所で、手も身体も唇も繋がったままの体制で吐露されるこのひとの気持ち。嬉しくて、苦しくて、自分の気持ちを返すのに、私は全身を震わせて応えた。 「少しは……ワガママ言えよ。俺ばっかじゃなくて、まーもいるんだから、一杯要求しろ、俺に。家族なんだからな?」 「ん……あっ!」 返事をしようとしてたら、ずんっていきなり奥まで押しつけられた。 「取りあえず、今は俺のを欲しがってるココに一杯やるから、な?」 「でも、今日はもう……」 「言ったろ?明日は3時からだって。それまでは限界にチャレンジってか?俺もうそんなに若くないんだけどな、愛する奥さんの為に朝まで頑張ってやるさ」 「ちょっと、まって、そんな……ああん、だめ、声……でちゃう」 「俺で塞いでやるよ」 「んあぁ」 唇を塞がれたまま、密着したまま突き上げられ、敏感な部分も一緒に刺激されて、身体は再び快感に取り込まれ、穏やかな歓びが頂点を目指して昇りあげていく。 「んんっ、はぁ、んっんっ」 彼の口中に消えていくわたしの喘ぎ声。わたしが昇り詰めるのを待って、彼もわたしの中に残っていた精を全部注ぎ込んだ。 繋がったまま、眠りに落ちかけた耳元に、間違いなく愛してると囁かれたみたいだけれども、『わたしも』と答える力もなく、水面に漂う夢の中へ沈んでしまった。 「じゃあ、ちょっと買い物行ってきますね」 「うん、まーくんみてるから大丈夫よ。夕方には美衣たちも帰ってくるしね。」 なっくんのお迎えが来た後、わたしは買い出しに出掛けた。雅鷹は真美子さんがみててくれるって言ったから、ちょっとだけのんびりできるかなって……でもまあ、買いだしはじめると際限なくて、あれもこれも欲しくなる。 「まるで新婚さんじゃない、子供もいるのに」 お揃いのお箸やお茶碗は我慢していた。セットものを使い回していただけ。だから夫婦茶碗とか、湯飲みとか、やたらと探してしまったのはしょうがないとして、カーテンやテーブルクロス迄ってやりすぎたかも知れない。今まであの部屋は、天野雅弘が独り暮らしのマンションでなければならなかったから。 『おめえの好きにしていいぞ。好きだろ、イロイロ飾るのが』 そう言って渡されたのはあの人名義のカード。暗証番号はなんと雅鷹の誕生日だって言うんだから驚きだった。 『今日籍入れたら、次にはサト名義のカード作るからよ』 あのひとが出掛けてからしばらくして、届けを出したって連絡が来た。 『出しといたから』 素っ気ない言葉だったけど、その後もしばらくはどちらも無言で携帯を耳に当てていた。今さらのことだし、飛び跳ねて喜ぶほど子供じゃない。でも、ようやく地に足がついた感じだった。今日から天野(これも本名)と名乗ってもいいのだと、法的には認められたのだから。世間一般に認められるにはまだちょっと時間がかかるだろうけれども…… 「それでも、これはちょっと買い込みすぎたかな?」 バスで帰るか、それともタクシー奮発しようかなって言うほど買い込んだ荷物の前にため息をついて、この際思い切ってとタクシーを呼び止め乗り込んでしばらくすると携帯が鳴った。 『里理ちゃん、落ち着いて聞いてね』 真美子さんからの電話だった。その声がやけに上擦って聞こえる。 『ま、まーくんが、居なくなったの……』 「え?」 『わたしが夕飯の買い物に出てる間に……子供達ゲームしてたらしくって、まーくんはよく寝てたはずなのに、帰ったら居なくって……ごめんなさい!子供達が居るからと思って、鍵、かけてなかったの……』 「う、そ……嘘でしょ!!!」 わたしは頭から血の気が抜けていくのを感じていた。誘拐、それとも……イロイロな憶測が頭の中を横切り、足がガクガクと震え出していた。 駄目!今自分がしっかりしてないと……わたしは、雅鷹の母親なんだから!!! そう何度も言い聞かせて、喚き出したいのを必死で堪える。そして震える指で、今一番縋り付きたい相手のナンバーを押した。きっと親父さんには真美子さんが真っ先に連絡を入れているはずだ。夫婦ってそういうものだと、こんな時に実感してしまうなんて……たぶん本番中の確率は高いだろうけど、それでも連絡せずにはいられなかった。 「あ、なっくん、あ、あのひとは……?」 『本番中ですよ。どうしたんですか?サトちゃん、声がおかしいよ?』 「あの、ね……」 崩れそうになる声を必死で引き留める。 「ほ、本番が終わったら連絡してほしいの。ま、雅鷹が……あの子が居なくなったの」 『えっ??あっ……』 すみませんと小さく謝る声がしたあと少しの沈黙。たぶん場所移動したのだろう。 『もう大丈夫です。それって、まさか誘拐ですか?』 「わからないの!い、家の中にいたんだけど、真美子さんが買い物に行ってる間に居なくなったって……」 『わかりました、ここ終わったらすぐに駆けつけますから、警察は?』 「まだです……」 『様子みたほうがいいでしょうね。言ったところでなにか要求がなければ動けないし、天野さんの立場もあるから……』 「それは、わかってる……」 わたしにもなっくんにも、コレが誰の仕業なのか薄々わかっていたから。だからこそ警察に通報することは出来ない。そしてそのことをその人は知っているのだから。 『サトちゃん、すぐ連絡させるから、落ち着いてね!!』 電話が切れたあとも、携帯を握りしめてタクシーの後部座席でひたすら連絡を待つしかなかった。 「里理!」 「親父さん、雅鷹は……」 「落ち着くんだ、里理!」 タクシーが実家に着き、急いで飛び降りて家の中に駆け込んだ。玄関には親父さんと真美子さんが居て、私は縋り付くように問いただした。 「ごめんなさい!わたしが……目を離したから!」 「ううん、真美子さんのせいじゃないわ、それを言ったら美衣達が悲しむから」 まだ歩くことも出来ない乳幼児を自宅から連れだしたのに、彼女やその子供達に責任があるはずがない。泣き崩れる真美子さんを反対に励ますように支えてる間に、散々買い込んだ荷物を親父さんが家の中に運び込み、そのまま家の中に入るように即された。真美子さんを支える手が震えてるのが自分でもわかる。 「里理、やっぱり警察に言った方がいいんじゃないか?」 「だめよ……そんなことしたら大変な事になっちゃう」 「けど、雅鷹の命にもし、」 携帯が鳴る。 「命は、たぶん大丈夫よ。」 急いで携帯に出たら、やっぱりあのひとからだった。 『サト、大丈夫か??』 「う、ん……今、家に戻ったんだけど……」 『今、夏人が濱口さんに連絡取ってる。御園の居場所、なんとかするから、』 そう、たぶん雅鷹を連れだしたのはあのひと。今現在連絡が取れないのも、あのひと…… 「わかってる、警察には……言わない」 『すまない。なんとかするから、落ち着いて居られるか?そっちに行けるのはたぶん10時回ると思う』 「わ、かってる……」 わかってるけど早く、助けて!雅鷹を、わたしを…… 『サト、俺が居るから、俺たちは家族になったんだからな』 今、警察に手続きするのも、全部父親の欄にはあの人の名前が載るのだ。昨日までは父親の欄は空白だったのに…… 『親父さん帰ってるのか?代わるれるか?』 側まで来ていた親父さんに携帯を預けた。 「わたしだ、ああ、そうだ……大丈夫なのか、警察に連絡しなくても……うむ、わかった、そうするよ。いや、こちらは何とかする。その時は、そうだな。私の判断でいいのか?わかった……ああ、そうしてやってくれ」 わたしの携帯を折りたたむと、再びわたしの方に向き直った。 「彼を信用して警察には連絡しない。だが、いざという時、連絡するしないの判断は私に任せるそうだ。」 落ち着いた親父さんの声に頷いたけれども、それでもじっとしていられない。 「とにかく連絡を待とう。天野くんも仕事が終わり次第来るんだろう?」 この間とは違う洋室のリビングに大人3人、ただ黙って座って連絡を待った。けれども、いつまでたっても誰の電話も鳴ることはなかった。 |