step1

(後少し...マンションのドアまで、後少しなのに...)
真央は必死で歩こうとしていた。だけども足下から力が抜けていく。
(もうだめ...歩けない...)
気分は最悪。睡眠不足のための貧血だろう。おまけに今朝から気分が悪くてなにも食べていない。そんな真央を見かねて店長が早めに返してくれたのだ。いつもなら深夜番で朝まであのコンビニでバイトの予定だった。

「なあ、キミこんなとこでなにしてんの?」
誰かが真央を呼んだ。その優しいイントネーションの声に少しだけ目を開けてそちらを見た。視界がぼやけてあまりはっきりとは見えてはいなかった。
「ああ、目が開いた。よかったーどうしたんかおもたわ。大丈夫か?立てる?」
「あ、はい、大丈夫です...」
真央は立ち上がってすぐ近くのドアまでたどり着く。身体は小さいが根性だけは備えてるつもりの彼女だったがさすがに限界が近かった。
(鍵...あった...はやく、入らなきゃ...)
意識はそこまで、真っ白になった。その瞬間、誰かの腕が自分を支えてくれた気がした。
「うわぁ、たおれなや、こんなとこで...」
(優しいなぁ、この声...関西弁なのに、普通で聞くよりすごく控えめ...)
真央の意識の最後に残ったのは、少年のようにシャイな関西弁の声だった。



「あれ?」
真央は自室のベッドで目を覚ました。ここは先月二十になってから住み始めたマンションの自分の部屋には間違いない。しゅんしゅんとお湯の沸く音が聞こえる。
「ああ、目覚ましたん?キミ大丈夫やったか?真っ青やったし、救急車呼ぼうと思ったけど、寝息立ててるし...もしかして寝不足?」
「えっと、あの...」
目の前には小柄な男性、ううん、男性と言うにはあまりにも繊細な、少年のような彼が自分をのぞき込んでいた。
「ごめんな、勝手に上がらせてもろたで。玄関で急に倒れたから、取りあえず部屋に連れてこさせてもろてんけど...確か見たことあったなっておもてな。キミ角のコンビニでバイトしてるやろ?マンションのエレベーターでも見かけたことあったからたぶんココの人やと思っててんけど。」
「あ、すみません助けて頂いたんですね。あの...あたし風間 真央って言います。先月越してきて...」
「ああ、お隣さんやってんね。俺、隣に住んでる澤井剛史。けど、ここセキュリティもめちゃくちゃ厳しい高級マンションやで?そんなとこに住んでる真央ちゃんがなんでコンビニでバイトなん?」
さらっと聞いてきた彼の声に思わず話してしまいそうになった。
「笑いませんか?」
「笑わへんよ。なんか理由有りそやなと思たんやけど。」
「あたし、半年前に父が亡くなって...ここを生前贈与で残してくれたんだけど、家には父の後妻さんとその子供達が居るので、あたし父の喪が明けて二十歳になってからlここに越してきたんです。通ってる大学の学費は全額先に払い込んであったんですけど...よく考えたら生活費って貯金しかなくって。他にも何か残してくれてるらしいんだけど、贈与税って言うの払わないといけないらしくって手がつけられないんです。それで、あたしの持ってる貯金を大学卒業までの月数で割ったら、あまり贅沢できないなって思って...それでバイトすればいいと思ってはじめたんですけれども、夜中働いて大学のレッスン受けてたら寝る間がなくって、それで...」
「それで倒れたん?な、レッスンってそこにおいてあるヴァイオリン?」
「ん、そうだけど...」
「そっか...ここテレビとかないの?」
「あたしあんまり見ないから...ニュースとかは主にパソコンで見るし、たいてい音楽(クラッシック)聴いてるから。」
「そっ...」
そう言った澤井はすごく嬉しそうだった。
「な、おかゆ食べる?作ってんけど、食べるかな?」
「え、でもそんな見ず知らずの方に...」
「なにゆうてんねん、隣に住んでるのも何かの縁やろ?困った時はお互い様や。」
そう言って、真央の目の前におかゆの入ったお鍋がお盆にのって置かれた。


澤井剛史は驚いていた。
目の前で倒れた少女に見覚えがあったからだ。
角のコンビニでバイトしてるところに何度か行ったことがある。だけども彼女は剛史の顔を見ても眉一つ動かさず、他の客と同じようにありがとうございましたと元気に挨拶した。
周りではこそこそと噂する声も聞こえる。
そうなのだ。自分はどこに行ってもこうやって注目されてしまう。一時はそれが嫌でたまらなくて、仕事以外出歩かなくなった時もあった。相棒の晃一は剛史とは対照的にそんな生活を素直に受け止めていたが、生まれつきシャイで繊細な神経の持ち主だった剛史にはそれが割り切れなかった。
スニーカーズ――男性アイドルを多く抱えるJ&M事務所、大阪支部初のデュオグループとしてデビューした澤井剛史と澤井晃一は同じ名字だが全くのあかの他人だった。性格も風貌も似ていない。似ているのは小柄だったのと同じ関西出身なこと。
見た目王子様な晃一と、シャイな少年っぽい剛史とは同じ仕事をしていてもべたべたした仲ではなかった。だからデビューして、数年目、出す曲すべてTOP10入りを成し遂げて以来、離れて暮らしていた。

自分の存在を知らないコンビニの店員は新鮮だった。気が楽だったので、何度か彼女がバイトに入ってるときに出掛けたことがあった。カウンターの中の彼女はどう見ても自分より小さく、150cmあるかないかだった。だけども声は元気で明るかった。その彼女を何度かマンションのエレベーターで見かけてココの住人だと気がついたのは2日前だ。
今日はコンビニを覗いたけれども、居ないなと諦めて帰ってきたら自分のマンションの手前で倒れていたのを見つけた。
急いで声かけて、部屋に入る前に倒れたのを支えて部屋に担ぎ込んだもののあまりの彼女の軽さに驚いた。でも一番驚いたのは部屋の中にテレビがなかったことだ。どこを見てもクラッシクの音楽雑誌意外週刊誌も漫画も見かけない。
質素で、あまり物のない、女の子らしくない部屋。
剛史は俄然興味をもってしまった。
(この子は...アイドルである俺をしらんのや。俺はこの子の前やったら、ただの澤井剛史になれる...)
そう思うと、今までやったことのないお節介を焼いてみたくなった。なにかするたびに取材やゴシップ記事のネタを気にして、たいていのことは見ない振りして関わらないようにしてきた。だけども彼女はなにも知らない。
(俺、ただの男でおれるんや。)
剛史は今までにない状況にわくわくして、ひとまずおかゆなどをつくって彼女に食べさせようと考えた。