step2

真央がおいしそうにおかゆを食べるのを、剛史はじっと見ていて思わず微笑んでいた。おいしそうに食べる真央の顔は子供のように可愛かった。
「ええ子やな、早う元気になりや。」
そう言いながら思わず頭をイイコと撫でてしまうほど無邪気な顔している真央だった。
お互いに人見知りしそうなのに、不思議とそれもなく自然と打ち解けていた。
真央も剛史に対しては最初から壁を作れなかった。優しいのは彼の態度を見ているとすごくよくわかったし、剛史も、なぜだか一緒に居たいと思わせ、側にいると気が休まり、落ち着けることに気がつくまでにそう時間はかからなかった。
剛史が仕事帰りに立ち寄ったり、仕事のないときに、真央の帰宅を見計らって部屋をたずねる仲になっっていった。もちろん剛史の部屋に入れる訳には行かない。テレビや、彼がそれらしき仕事している形跡は山ほどあるのだから...


剛史は自分を普通の男として接してくれる真央の態度がうれしかったし、真央もTVとか世間のことを知らなくても、馬鹿にせず、ただそばにいてくれる剛史の存在がうれしかった。二人して何かをするわけでもない。ただただ二人で居るだけ...
クラッシック音楽を聴いたり、ただボーっとしてたり、剛史も何も望まない真央に気楽さを覚えていた。ただ、背中合わせで座ってると、その暖かさが例えようもなくうれしくて、自然と微笑むことが多くなっっていった。
「真央、なんかヴァイオリン弾いてや。」
「うん」
時間があれば剛史はそうねだった。もっともスケジュールの忙しい最中、時間を作って来る彼はすぐさま寝息を立てる。真央の弾くヴァイオリンの音色は優しくも儚げで物悲しかったから...
剛史はそうして携帯のタイマーに起こされるまで真央の部屋のソファで至極の眠りをむさぼるのだ。
ピピピとアラーム音。
「おはよ、剛史くん気持ちよさそうに寝てたね。」
「ごめん、また真央のヴァイオリンの途中で寝てしもたな...」
「だって、今日は子守歌弾いてたもん。剛史くん、疲れてるみたいだね。なんの仕事か知らないけど遅くまで仕事してたりすごく不規則だけど、大丈夫?」
「ああ、俺は大丈夫や。真央こそコンビニのバイト、夜中入れてたらまた倒れるよ?」
「うん、わかってる。もうあんまり入れないから...えへへ、優しいね、剛史くん。なんか、こうやって誰かに心配されるのっていいね。」
「そ、そっか?」
小首をかしげて微笑む真央に剛史もつられる。繰り返されるそんな優しい会話。
出会ってから半年、そんな関係がずっと続いていた。



「真央?」
音楽を聴いている最中、珍しく真央が先に眠ってしまった。ソファの背にもたれて、気持ちよさそうな寝顔はとてもじゃないけど二十歳には見えない。
「まーお?寝てるんか?」
すーすーと立てる寝息。なにもかも小作りな真央の顔のつくり。その一部である小さな薄桃色の唇に視線が惹かれる。口紅なんか塗ってないそのまんまの真央の唇。
剛史の中には、もうそろそろ自分の中の気持ちに蓋出来ないほど溢れ出す想いが生まれ育っていた。
「男の前でそないに無防備な顔したらあかんよ、真央...」
もう一度名を呼んで引き寄せられるように、そっと軽く唇を合わせる。まるでペットにでもするかのごとく軽いキス。
それだけのキスなのに、剛史の心はもうストップが効かないほど高鳴っている。真央が自分をどう思っているのか、ただの友人としてしか見てくれていないのか、それを考えると胸が締め付けられんばかりの切なさを感じていた。
(ただの友達じゃあ、ないよな?俺ら...)
いつの間にか感じていたその感情は、紛れもなく真央を愛しいと思う男の感情だった。
何千人、何万人のファンを前に堂々たる男っぷりを見せるアイドルであろうが、彼女の前ではただの自信のない男でしかない。そんな自分に苦笑しながらも、剛史は真央を愛おしげに見つめる。
じっと見つめていると、真央の黒目がちな瞳がゆっくり開き、剛史をその目に捕らえて何か言いたげに剛史を見つめ返した。
「真央、お、起きてたん?」
「剛史くん...今...キス、した?」
「あ、ああ、したよ...」
「どうして、あたしにキスするの?」
「それは...真央が好きやからや...」
「あたしを?」
「ああ...真央は俺のこと嫌いか?」
急いで首を振る真央。子供のようにぷるぷると振っては剛史を見る。
「真央は...俺にキスされて、いややったか?」
「...嫌、じゃなかった...」
その返事を聞いて、剛史は思わずもう一度ちゅっと軽くキスをする。真っ赤になる真央、剛史の気持ちはもう止まらなかった。
「もっとしてもいい?」
「え?...んっ!」
剛史は返事を聞かずに真央にキスの雨を降らせた。




「晃一、もしも自分が芸能人やって知らん子がおったらどないや?」
「はぁ?」
スニーカーズの楽屋は同じだ。バラエティ番組の録りで二人同じ時間にスタジオ入りしていた。
「それはちょっと寂しいかもやな。けど、普通の人扱いされるんもええかもしれんな。なんや剛史、そんな子いたんか?」
「あ、うん...」
「おまえはその方がいいのかもしれんな。時々この世界から逃げたそうにしてる。」
「俺は...おまえほど楽しまれへんのや。」
「その人見知りな性格、昔っから治らんな。」
晃一は笑う。きれいな顔に自信に満ちた微笑みを乗せて。剛史が精神的にも何度かどん底に落ちかけた時にも、この相棒はたくましく乗り切る様を見せてくれた。自分よりも何倍も強く努力家なその姿には尊敬の念すら抱く。と同時にそこまで割り切れない自分の弱さを目の当たりにしてしまうのだ。
「惚れたんか?その子に。」
「たぶん...な。」
「けど、知らんまんまではすまされん。こんな稼業の俺らやからな。どこで見られてるかわからんし、知らずに人にぺらぺらしゃべられても困る。何よりその子が的になってしまう。そうやろ?」
晃一が言うその通りだった。芸能人である限り週刊誌の記者やテレビのワイドショウのネタにはもってこいなのだ。いつマイクを突きつけられ、カメラを回されるかわからな。普段は自分を応援してくれるファン達だって、彼女になにもしない保証はないのだ。
いつかは言わないといけない、そう思いながらも、真央との優しい時間をなくすのが怖く、剛史はまだなにも言えずにいた。


「真央、どうした?元気ないやん。」
ヴァイオリンの音色にいつもの真央らしい元気がない。元々思い詰めたような音色を出すのだが、今夜は張りすら感じられない。
「うん...明日ってクリスマスイブだよね?思い出してたんだ。去年は珍しくお父様がお家にいらっしゃって、いつもなら参加させてもらえなかったクリスマスのおいわいに参加させてもらって、プレゼントももらったんだけど...なにをもらったのか途中から記憶がないの。」
「え?なんでなん...」
「あたし時々あるんだぁ。確かにそこに行ったとか、そんな記憶があるのに気がついたら部屋にいて、最後になにがあったか覚えてなくて。気がついたら泣きながらヴァイオリン弾いてるの...去年のクリスマス、すごく大切なことがあったはずなのに、覚えてなくて...」
「真央...それって...」
聞いたことがある、自分に都合の悪いことだけ忘れてしまう記憶喪失。確か以前に晃一が出たドラマでそんな設定を聞いたことがあった。
(それは、現実逃避したいほど嫌なことがあったってことか?真央、おまえも俺と同じで嫌なことから逃げだそうとしてたのか?)
しばしこの芸能界で、嫌なことがあるたびに逃げだそうとしてしまう自分と重ねてしまう。自分には忘れてしまいたい過去などいくらでもある。楽なだけじゃアイドルなんてやっていけないのがこの世界だ。
「普段は何とも無いんだよ。今年はこうやって剛史くんと仲良くなれたから...あたし友達とクリスマスなんて過ごしたことがないから、よかったら明日のイブも剛史くん来ないかなぁって...」
「友達...」
真央は確かに剛史のことを友達だと言った。
(あのキスを覚えてないんだろうか?あれから何度も唇を合わせてるのに...)
剛史は焦燥に駆られた。剛史の気持ちの中ではイブは一晩中でも真央と過ごしたいと思っていた。だけど定時のない仕事...何時に帰れるかだなんて約束は出来ないのだ。
「ね、剛史くん明日は?早くは帰れないよね...」
頭の中で友達という言葉が回り続けていて、思わず返事が遅れる。
「...あ、ああ、仕事夜までや。何時かわからんけど、終わったら、ココに帰ってくるわ。」
ココというのはもちろん真央の部屋の方だ。
「あたしも実は夜中までバイトなんだ。店長の子供さんまだ小さいからクリスマスのおいわいするんだって。それが終わったら交代してもらえるんだ。」
クリスマスのプランを嬉しそうに話す真央に、友達発言については、それ以上問いただせない剛史だった。


「剛史、これからみんなでクリスマスパーティで店借り切って行くって、どどうする?」
番組の収録の終わった後、晃一に誘われたのを剛史はあいまいに断った。
「彼女のとこか?」
邪魔はしないとばかりににやっと笑って晃一は彼が風邪気味だから行かないそうだとスタッフに告げてくれた。
(サンキュ、晃一)
甘えた関係ではないけど、こういった時お互いに機転をきかせてもらえる、ありがたいコンビだった。


「真央、メリ−クリスマス!」
インターホンを鳴らして真央を呼び出すと、真央の後ろに落ち着いた雰囲気の男性が立っていた。歳の頃は30代後半だろうか?眼鏡の奥の目はぞくっとするほど冷たい物だった。
「剛史くん、いらっしゃい。あ、こちらは...」
「いや、もう帰りますから。では、確かにお渡ししましたから。」
スーツ姿の男性は髪をきちんとなでつけ、ぱりっとした身のこなしのまま部屋を出て行く。ちらりと剛史に視線をくれると、ぞくっとするほど冷たい視線を送っておきながら、表面上は興味のない表情を保っていた。そのまま靴を履くと剛史の横をすり抜ける時になにやらぼそりと聞き取れない声で何事かをつぶやいて立ち去っていった。
(まずい、ばれたかな...)
自分の正体を知るものだとすれば不審に思うだろう。
「あの、わたしの後見人でもある弁護士さんで、これを届けてくれたのよ。」
机の上にクリスマスプレゼントらしき物が箱から出されて置かれていた。淡い色の布地がのぞき見れた。
「去年の間に父が用意してくれていた物なんだって...よかった、去年は何貰ったかも覚えてなかったから、うれしいの。」
真央は嬉しそうにプレゼントを見つめてから剛史の方をじっと見た。
「剛史くん、ソレお仕事着なの?」
剛史は自分の姿を見て、今日の撮影に合わせて珍しくスーツで出掛けていたのを思い出す。着替えるのも面倒でそのまま来てしまったけど、一般人にはちょっと派手かもしれない。自分ではなかなかクリスマスらしい恰好だとは思うのだけれども...
「真央、そのプレゼントって、もしかしてドレスかなにか?な、今着てみいひんか?」
「え、うん、いいけど...そうだね、クリスマスパーティらしいね。」
奥の部屋でドレスを身につけて出てきた真央はいつもよりも大人っぽく見える。背が低い彼女にも似合う長さのドレスだったが少し色っぽく、父親が娘に選ぶデザインではないっぽいから、もしかしたらあの弁護士が選んだのかもしれない。そうなるとあの弁護士も気をつけておかなければならないと思う剛史だった。
「こんどの学内演奏会に着れるわ。ね、似合う?」
くるんと回る彼女の無邪気さに剛史は苦笑しながらも頷く。
(抱きしめたいな...)
剛史の中に現れて消えないこの感情。ポケットの中の小さな袋を取り出す。
「真央、これ、クリスマスプレゼント。俺がつけとったヤツやけど、絶対真央の方が似合うから...」
急だったので買いに行けなかったけれども、自分がもってる中ではあまりにも女性的で滅多につけることの無かったチョーカー。ソレをみた真央が大きく微笑んで剛史に背を向けてつけてとせがんだ。自分よりも小さい真央のドレスで晒された背中をみつめながらゆっくりと留め金をとめる。思わず唇を這わせたくなるほど白い滑らかな肌は剛史の情熱を煽る羽目になる。深呼吸してゆっくりと真央から離れると、彼女はにっこり笑って、さっそくヴァイオリンを取り出して軽く一曲弾いてくれた。クリスマスらしいアベマリアから始まってパッヘルベルのカノン、G線上のアリアと穏やかな曲想が広がっていく。たぶん剛史に合わせてくれるのだと思う。どれも知ってるメロディラインだった。
その間に剛史はケーキを取り出し、ローソクを立てて、火を灯し準備を整えていると側に真央がやって来る。向かい正面でなく隣に来てくれるのが嬉しかった。これで友達と言われたら辛いものさえあるのだが...
もっともっと豪華なクリスマスを用意できたかもしれないけれど、今の剛史にはこんな質素なクリスマスが嬉しかった。
「「メリークリスマス!」」
二人声を合わせたあとお互いを見つめ合う。剛史はろうそくの明かりに揺れる真央の唇に自分をゆっくりと重ねる。
「真央からクリスマスプレゼント貰ってもええか?俺、真央が欲しいんやけど...」
真央は応えない。抗いもしない...
剛史はろうそくの火を吹き消すと暗闇の中そのまま真央を引き寄せた。