step7

アイドルという言葉を聞いても、真央はすぐに判らなかったようだ。
仕方なく、剛史は部屋の片隅に置いてあった自分のCDやらDVDやらを取り出して真央に見せた。
剛史が仕事に行ってる間に一通り見たようで、彼が帰宅すると、TVの前でクッションに埋もれて寝入る彼女の姿があった。
「真央...こんなとこで寝たらあかんやろ?」
「あ、剛史くん...」
「ん、どないした?」
ぼうっと寝ぼけた表情の真央は幼く見える。それと共に自分には守ってやりたい愛おしさが溢れてきてしまう。
剛史は思わず真央を腕の中に閉じこめて、その暖かさを確認してしまうのだ。
「ねえ、剛史くんって...有名なんだよね?」
「あ?ああ...そうやね、俺のことしってる人が多いやろね。あんまり普通にうろうろ出来んかもしれん。」
「あたし...知らなかった...歌、いっぱい歌ってたんだ。」
「クラッシック畑の真央はあんまり知らんかもやけどな...」
「ううん、耳にしたことのある曲が何曲かあったよ。友達がピアノやヴァイオリンでアレンジしてたのを...すごくキレイな旋律で、歌も、声がすごく優しくて、時々泣きたくなるような歌詞があって...コンサートでも、すごい人気なんだよね。たくさんの人が剛史くん見に来てた...」
「いや、俺だけちゃうて、相方の晃一っていうのがな、王子様顔してるやろ?あいつの人気がすごいんや...俺はまあ、ほどほどにやから...」
「けど、すごい人気だったよ?それなのに...いいのかなぁ?あたし、ココにいて...」
真央の不安げな瞳は潤んで揺れている。剛史はいたたまれなくなって、彼女を強く抱きしめた。
「居て欲しいんや。あの部屋には帰されへん。鍵も暗唱番号も全部変えて、それでもヤツが入ってくるようやったら、管理人に連絡したらええ。セキュリティ呼んでくれるし、それがこのマンションのええとこなんやからな。」
そうは言ってみたものの、不安はあった。相手は法のプロだ。どういうつもりなのか真意は測りきれないけれども、その目的の中に真央が入っているのは間違いない。真央自身か、真央が持つものか...
「なあ、真央は父親の財産の相続とか、するの?」
「え?あたしに残されたのはこのマンションと、あたし名義の貯金とらしいんだけれども...あと、株式が少し?それも、お義母さまは気に入らなかったみたいだから...でも、それは全部弁護士さんが管理してて...」
「真央は、佐山さんを信用できるん?」
「それは...昔からうちの顧問で...」
「それは、佐山弁護士のお父さんの方やろ...」
「うん...でも、お父様が亡くなった時もすごくよくして貰ったよ?」
どう、よくしたのか...想像するだけで剛史のはらわたは煮えかえる。
「なあ、明日、カウンセラーさんのとこに行くんやろ?俺、明日昼からオフねん、一緒に行ってもええか?」
「一緒に?」
「ああ、一緒って言っても、向こうで合流やけどな。俺も前に通てたとこやから、大丈夫やと思うんやけど...あかんか?」
「ううん、うれしい...だって、自分で言うの、は、恥ずかしいし...」
「あ、そ、そうやなっ...それは、お、俺が言うから、安心しとき。」
真っ赤になる真央につられて、剛史まで赤くなる。昨日あったことなども話しておかなければならないだろうし、弁護士の件も話しておきたかった。
真央の記憶障害の根っこには、おそらく父親のことがあるだろうと、カウンセラーの女医、福井悠子に言われた。おそらく、12歳のクリスマスの夜からよそよそしくなった父親、まるでなかったことのように記憶が抜け落ちる、それだけではないかもしれないが、まだまだ推測の範囲内で、現在では治療の段階まで至っていない。おそらく一番の治療は剛史自身の愛情の他無いだろうと...
だがもし、父親が原因であったら、治療は困難だ、と言われた。彼女は日本で精神科の医師免許取得のあとアメリカで学び、レイプや、暴力事件の被害者の治療などで実施されているカウンセリング方法を学んできた人だった。
だからこそ剛史が通っていたのだ...。
傷の深さはおそらく計り知れないだろう。剛史自身が経験してきたことに比べられないほどの傷。自分の場合は、ハードスケージュールによる疲労が拍車をかけていたのがわかっては居た。あの当時、休むことなど許されず、笑っていないといけなかった。今でこそようやく剛史自身のぶっきらぼうなしゃべり方のキャラが確立し、無理して笑っていなくても済むようになったのだから...

『まさかとは思うけれども...』
前回、剛史が個別に尋ねたときの悠子の表情は暗かった。このまま思い出さない方が幸せかもしれないと...それでも剛史自身が彼女を守れるなら、傷口はこじ開けない方がいいかもしれない。いくら真央が思い出すことを望んでも...

「そう、よかったわね。真央さんの身体は、ちゃんと彼の愛を受け入れられるように準備できているのね。それはとてもよいことだわ。」
一通り剛史の報告を聞いた悠子はニッコリと笑って真央を抱きしめた。
「うれしかった?」
「はい...とても...もう、何も無理なんじゃないかなって思ってたんですけれども...でも...」
「でも?」
「目を瞑ると怖いんです...剛史くんの顔を見てたら安心できたんですけど...」
真央は悠子から離れると下を向いて手をぎゅっと握った。剛史は、そっと自分の手をその上に重ねる。
「まだ焦らなくてもいいわ、ゆっくりね?」
真央は頷くと不安げに剛史を見上げた。そっと肩を抱いて優しく微笑み返すその存在に安心するかのように真央は身体を少し預けた。
「真央さんが、本当にいいと思ったら、澤井くんと身体を繋げてもいいと思うわ。ただ...真央さんが、身体に入ってくるモノを拒否した場合...また同じコトを繰り返すかもしれないわ。行為の最中にまた記憶が無くなってしまうかもしれないけれども、やってみてもいいかもしれないわ。あなた達は、それだけの強い想いで繋がっているはずだからね?」
「けど、なんで、真央はこんなにボクを許してくれるんでしょう?」
剛史は標準語ではないが丁寧に話すときにはボク、ですますになる。これは、J&Mという上下関係の厳しい事務所の中で培われたもので、無理に標準語は話さなくてもいいから、せめて丁寧に話せと言われたからだ。
「あなたたちね、すごく雰囲気が重なって見えるわ。オーラが似てるとでも言うのかしら?最初から違和感なかったんじゃなくて?お互いに、どちらも人見知りするタイプでしょう?」
「「はい...」」
返事が重なる。
「だったら余計に、澤井くんが言っていたその弁護士さんと真央さんを婚約なんかさせていられないわね?そんなことしたら...真央さんの治療どころではなくなってしまいますもの。」
「そうなんです。せやから、ボクもどうしたものかと...」
「わたしに言えるのはソコまでだもの。それ以上のことは、他に相談してやって。今のあの子に力はないけど、話しぐらいは聞いてくれるはずだわ。」
あの人とは、悠子の友人でもある真咲副社長のことであろう。実権は全くないとも聞くが、2年前、アメリカ帰りの彼女が、たまたま会社を訪ねてきたときに、眠れない日々が続いていた剛史が倒れたその場に居合わせ、その口から漏らした言葉を聞き、ココを、福井を紹介したのだ。
「わかりました。とにかく、真央はボクが守ります。」


守りきれるはずだった。
剛史の誤算は、やはり佐山が弁護士であったことと、自分がアイドルであることを真央に知られてしまったことだった。