step8

真央がいる生活、帰れば誰かの待っている家の居心地の良さとくすぐったさ。
剛史にとって、どれほどそれが暖かなものだったか...
ファンはありがたい存在であっても自分を理解してくれている存在ではなかった。自分の都合のよいように美化し、理想化して憧れているのだ。そんな彼女たちに自分の辛さなど晒してもしょうがない。幻滅されるだけだろう。だから精一杯彼女たちの理想の<澤井剛史>を演じ続けている。最近は少しづつ生身の自分を晒してはいるけれども、それでも一番気持ちが安らげるのは真央の側にいるときだった。

「ただいま〜」
「お帰りなさい、あのね、今日はご飯つくってみたの!簡単なのしかできないんだけど...」
「ほんま?今日は食べてきてないんよ、すぐに食べてもええかな?」
業者からの連絡で、真央の部屋の鍵は出来ている。それを真央に告げれば、彼女はココを出て行くだろう。たった数日一緒にいただけでもう離れられないように思えてしまう。
毎夜、自分の腕の中で眠る真央が愛しかった。
身体を繋げることを試すのは簡単だったかもしれない。けれども今の生活を壊すのが怖くて、真央に触れるだけで納めている剛史だった。
思い出さなくてもいいのかもしれない。真央の過去、それが判らないとずっと今のままかもしれないけれども、それでもいいとさえ思えてしまう、一時は...
けれども、彼女の肌に触れていると欲しくなってしまう。すぐにでも彼女の中に入り込みたいと熱く膨れあがってしまう欲望の塊。
だけど今は、素肌で抱きあい、朝を迎える瞬間を剛史は手放したくなかった。

「なあ、真央、鍵できてたけど、どないする?」
「そう...じゃあ、あたし部屋に帰らなきゃダメだよね?」
少し悲しそうに微笑む真央に剛史はその手を取って引き寄せた。
「ダメやない、いつまでもおってええ...いや、おって欲しいんや。真央...」
「あたしも...ココにいたいよ。でも...その、ファンの人とかに見つかったらダメでしょ?」
ファン、ありがたくも恐ろしい存在だった。けれども一番怖いのは雑誌記者にフォーカスされることなのだ。剛史自身はばれてもかまわないと思ってはいる。けれども、そのことによって真央が傷ついたり、事務所に引き裂かれたりするのが怖かったのだ。
「それは...たぶん、そう言う面では真央に無理させるかもしれへん...今俺はまだどうこうできるほどの立場やないからな。事務所もそう言うのにごっつう厳しいしな。けど、真央さえよかったら、部屋はあのままで、こっちにおれるときはずっとおってくれへんか?ココは真央と俺の部屋で、あの部屋は真央の好きにしたらええし...あかんかな?」
「そんなこと言ったら...あたし、ココにずうっと居座ちゃうよ?いいの?」
「ええよ、もちろん!けど、俺は仕事が不規則やから真央に寂しい思いさすかもしれへんよ?帰ってきて真央がおってくれたらごっつううれしいわ。おらへんかったら、心配なぐらいや...」
「待ってるよ、剛史くんが帰ってくるの。あたし夜更かしが苦手だから、寝ちゃってるかもしれないけど。」
「かまへん。俺も無理やりおこすかもしれへんけどな?」
寝てる真央をそのままに眠れる自信などない。今でもそうなのだから...
「なぁ...バイトどないする?」
「あ...やめても、いいかな?最近深夜のシフトばっかり頼まれるんだけど、あたし...」
「ちょっと無理やもんな...倒れるぐらいやし。元々生活費のため言うてたやんから、それやったら、俺とここで生活したらええやろ?真央出来ることしてくたらそれでいいし、いるもんあったら、言うてくれたらええから。」
「でも、それじゃ...」
「俺がそうして欲しいねんけど、あかんか?」
「ううん...じゃあ、バイトやめるね。でも、一緒にいて、あたしが待ってるって、その...新婚さんみたいだね?」
照れてそう言う真央に、思わず二人の未来を思い浮かべた。
「ああ、ほんとだね。けど、俺の仕事は不規則やから、真央は待ってなくてええからな。メール入れるからちゃんと見てくれるか?それに...実は明日からコンサートで、しばらく戻られへんねんけど、真央は大丈夫か?」
明日から10日間、東京に戻ってくるまでココには帰れない。
「うん、大丈夫だよ。ちゃんと待ってる。」
「それと...うちの弁護士さんに頼んだんやけどな、真央の財産に関する書類、全部こっちに貰うために、委任状書いて欲しいって、それで、全部手続きして真央に渡したいってゆうてるんやけど...これ、ちゃんと読んでな。」
「うん、佐山さんに預かって貰ってるのを返して貰うのね...別にいらないけどなぁ...」
「俺もいらんよ。真央だけでええんやけどな、そうせな、たぶんあいつはいつまでも真央を狙てくる...」
「やだな、剛史くんあたし佐山さんに狙われたことなんて無いよ?」
知らないだけの記憶を真央は笑う。
佐山は今は見せられないとコチラの弁護士の申し出を断ったと聞いている。すぐに見せれないということは、見せられない理由があるからだと、弁護士の榊さんが言っていた。あの人も興行界を取り仕切るその筋の人と折り合いを付けながら事務所を守ってきた凄腕だと聞いている。すんなり引き受けてくれるとは思っても見なかったが、副社長の口利きで動いて貰った。先代の社長、真咲さんの娘である副社長のしずくさんは、俺らと変わらない歳で、スニーカーズのデビューの時にはすでに副社長に就任していた。ただ、何の力もないと悲しい目で笑っていたが...数年後、剛史の思い悩んだ目を見て、彼の危うい状態を察した彼女が今のカウンセラーを紹介してくれたのだ。彼女が、今の事務所では何もすることが出来ないけれども、今回は榊弁護士が真咲会長と繋がっていたので何とか頼めたらしい。もちろん剛史も直接会って頼んだのだが、無口で切れる男といった印象の榊は、裏世界的なこととなるとおそらく佐山など太刀打ちできないであろうと思われた。
『少々強引にやらせて頂きますよ。おそらく叩けばいくらでも埃は出てくるでしょう。』
書類を受け取るときにそういわれた。『これは事務所とは別で動きます』とも...
真央にサインを貰った書類は出掛ける前に榊に渡すつもりだが、何日も留守にするのは正直不安だった。いっそのこと連れていきたいほどだが、そんなわけにも行かない。
「ホントに大丈夫だよ?佐山さんは部屋に入れたりしないよ?」
「ほんまか?」
「うん、ホントだよ。」
瞳を覗き込んでいると、いつのまにか吸い寄せられるように唇を重ねる。そうして二人の間の穏やかな空間に熱が生まれる。
「んっ...はぁ...っ」
激しくなる口付けに真央が喘ぐ。空いた手が真央の温もりを求めて身体をまさぐる。真央をあとずさりさせながらベッドにたどり着き、そのまま背中から沈めて、身体を重ねて何度も角度を変えてキスをする。
明日から離れなければならないかと思うと一層愛おしい。
「真央、真央...」
何度も名前を呼んで口付けを交わす。そのキスは全身へ移っていく。見えない部分に刻む自分のものである印。今まで誰かにつけたこともなかった。だけど、今は誰にも渡したくないという思いが真央の身体に赤い花を咲かせていった。

明日から離ればなれの寂しさを隠すように、今を重ね合う二人だった。


「真央、大丈夫か?」
『大丈夫だよ。何も変化無いよ。』
毎日確認を取るまめまめしい剛史に晃一は呆れる。
「ほんまに...コンサートのあとはぐったりで女抱くきにもならんのに、おまえはまめなやっちゃなぁ。」
毎日の終わったコールにおやすみコール、出来ないときもあるけれども、少しでも真央の声が聞きたくてついかけてしまう。
なのに...
「なんで、でええへんねやろ?」
「どうした?」
「いつもやったらすぐに出るのに、今日はでえへんのよ。」
コンサートの終わった楽屋、いつものコールに出ない。
「疲れて寝てるんと違うか?どうせ明日になったら帰れるんや。もうちょっとのしんぼうやろ?」
そう呆れ顔で晃一に言われて次の日のコンサートを迎えたが、翌日も真央と連絡は取れなかった。





「佐山さん...どうして?」
「どうして?あなたが逃げるからじゃありませんか。」

真央は佐山とともにいた。
それは彼女の思いではなく、意志で...


呼び出されたのは真央の自宅だった。最後の遺書を開封するので集まるようにと伝えられたのだ。
「これは、真央さんが20歳になり、生活が落ち着いてから公開するようにとお預かりしたものです。」
佐山は弁護士らしく落ち着いた態度で書類を取り出した。義理の母である冴子は身を乗り出し、義兄妹達はおもしろくなさげな顔で座っている。
「遺産相続は先の遺書で公開したとおり、自宅諸々の財産は妻の冴子と子ども達に、娘の真央にはマンションと資産の一部はそのままである。ただし、わたしの死後、妻冴子達が真央を引き取り共に仲良く暮らしていた場合のみ残りの凍結していた自社株式を妻冴子に贈るが、もし先妻の娘真央が一人暮らしをし、実家から何の援助も受けずに、生活に困難を示している場合は真央にわたしの持つ自社株のすべてを譲るものとする。20歳になったばかりの真央には荷が重いと思うので、彼女の支えとして、顧問弁護士佐山貢との婚約を認めるものとする。もしものことがない限り、以後真央と佐山くんの指示に従うように。それが認められない場合は、株式の相続権を放棄したものと見なす。詳細はいかに記す...以上です。」
「そ、そんな、公明はどうなるの!この子が跡取りだわ!!なんで、あの子ばっかりっ!!」
冴子が叫ぶ。揺すられた義弟は面白くなさそうな顔を崩さない。
「まって、あたしは...」
真央の言葉は佐山によってふさがれる。
「冴子様、貴女がもう少し真央さんを可愛がって下さったら、こうはなさらなかったはずです。風間様は自分の死後、真央様が疎外された時のことを考えておいででした。そうなった場合あなた方を経営陣に入れるつもりはないとおっしゃられました。」
「だからといって、なぜおまえなの、佐山!」
「私と真央様は、以前から深い仲なのですよ、去年のクリスマスから、ね。」
「うそっ!」
真央は信じられなかった。佐山の言った言葉が。
確かに昨年のクリスマスの記憶はない、でも...
「風間様にはそのことは報告済みです。たいそう喜ばれましてね。」
「佐山...おまえ何が望みなの?」
「私は真央様をお守りするだけですよ。」
真央の言葉は完全に無視された形となった。
もちろん言いすがろうとした瞬間、佐山の一言で口をつぐむ以外なくなってしまったのだ。
『澤井剛史がどうなってもいいのですか?』
その名前を出された瞬間、真央は佐山の眼鏡の下の冷たい一重の目が鈍く光るのを見て震えた。
普段の佐山弁護士ではない、その冷たい瞳に隠された佐山の本性に...



「なぜこんなことをって思ってるでしょう?これも全部あなたがいけないんですよ?」
「あたしが?」
「ええ、全部あなたがいけないんだ。」
「私の父が死んだのも、風間氏が急死されたのも全部あなたのせいなのです。あなたがこの身体で、自分の父親や真面目だったわたしの父までも誘惑したんだ。」
「そ、そんな!!!」
真央の実家を出て、佐山は彼女を自分の自宅へと連れ帰った。
そう、無理やりに...
自分の言うことを聞かないと澤井のアイドル生命は終わるよと。
そして、真央が総ての根源だと佐山は言った。真央はその言葉に従うしかなく、そのまま付き従ってココまで来ていた。
「おまえは、その幼い身体で、実の父親を誘惑し、そして僕の父をも誘惑し、その罪悪感にいたたまれず、父は亡くなったよ。それもこの身体で...どこがいいのか、昨年のクリスマスの抱いた時にわかったよ。無抵抗なくせに、男を締め付ける、いいもの持ってるじゃないか?おまけに何されたか忘れてくれるなんて、こんな好都合なことはなかったよ。たまに抱いてもすっかり忘れてくれて。ただの弁護士の振りするのが楽だったよ。」
「嘘...」
頭ががんがん鳴っている。自分の身体は剛史だけのモノのはずだ。なのに、今この男はなんと言った?
「嘘じゃないさ、父が死ぬ間際に聞いたんだ。おまえを自分のものにしたとね。12歳の少女相手に何を血迷ったのか...けれども先に手を出そうとしてたのはおまえの父親だからな。いくら死んだ妻と間違えても、娘を抱こうとするなんてな。」
「いやあぁ!!!やめてっ!!」
聞きたくないと体が震えた。父?あの優しげな佐山弁護士の父親が?そして自分の父親までもが??
真央は気が遠くなっていくのを感じていた。