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たとえ初めてでも、一度抱かれたぐらいで有頂天になるほどあたしは子供じゃなかった。何よりも、そんな自信なんて全く持ち合わせていない。相手は分不相応にも王子様と呼ばれるアイドルだし。 でもそうやって自分を抑えておかないと、今の状況信じられないし、普通になんかしてられなかったから現実逃避というかもしれない。 芸能界に入るときに、従姉妹の啓子ちゃんにいわれた。 『男はね、ヤルまでは優しいし色々言ってくるんやで〜おまえだけだとか、好きだとかゆうてな。業界人って遊んどるいうから気つけるんやで。簡単にそうゆうことゆうて慣れない女モノにして楽しんだりしてるんやからなぁ。ナツキは男慣れしてないんやから、騙されたらあかんよ。』 あたしより先に都会に出て、結婚して離婚して...あたしからすると恋愛経験も豊富で、人生のなんたるか、恋の甘いも酸いも味わい尽くしてる大先輩だと思っている啓子ちゃんからの言葉を今更ながらに思い出していた。当時のあたしは男性に相手にされないから大丈夫って思ってたから、それとなく流してた。だけど、今はなるほどって思えちゃうもん。 王子からメールは数通来た。 コンサートが近くその準備が大変なこと、コンサートが始まるとそんな暇も無くなるほど忙しくなること、その後どこかの地方都市から2回ほど。メール無精だとか言ってたからだと思うんだけどね、すごく事務的なお友だちした文面。それは忙しそうだなってことと、あれきり逢えないことの言い訳にも見えた。 『コレじゃヤリ逃げだ!』って、啓子ちゃんだったら、きっとそう言うだろうなぁって。 あたしもメールの返事はすぐに返せなかった。だって、すぐに返事するのはまるで待ってる見たいだし、夜中に来ても、何を返していいかわからなくて朝まで悶々と携帯を握りしめて夜を過ごしたりした。ようやく昼前に返しても、当たり障りのない短い文面だったり... その後はしばらくはメールも来ない。 こういう付き合いに慣れてない自分を恨んだりした。だって、いきなり上級編だよ?王子となんて... どうせ、時間がたったら王子も目が覚めてくると思う。 だって、アイドルだよ?あたしみたいなお笑い女芸人なんか相手にしたってしょうがないとか、あれは一時の気の迷いだったとか...冷静になればわかるはずだもん。ただでさえ面倒な芸能人同士のお付き合いだもの、いくらえっちが出来て大丈夫だからって、あたしみたいなのに手を出さなくってもいいってことに気が付くだろうって、リスクまで背負ってスル相手じゃないって、さ。 それなのに、こっちが本気でどぎまぎして待っていてもしょうがないじゃない?いくら初めてだったからと言っても、その責任を王子に求めて縋っても惨めだしね。王子にその気がないんならやっぱり引き際も考えておかなきゃいけないと思った。 うん大人の選択? 遊ばれたんじゃなくて、あたしの意志でそうしたんだってそう思いたかった。 あれから、あたしは変わらないようで変わったらしい。 それは雨村のにいさんにも、劇団のねえさん達にも言われた。劇団の舞台やバラエティ番組の収録の時には今までどおりの自分で頑張ったけど、ふとしたときになんとなく違うらしい。特に男性に触れられることから逃げるようになっていたみたいだからかな?王子に言われたわけじゃないけど、あれから<意識>するようになった。 『ナツキちゃん、キレイになったね〜』 周りに言われるとちょっとはその気になる。勿論標準以下で平素のあたしとの比較だろうけど、普段のイロケのカケラもなかった前のあたしと比べたら違うと言いたいのだろう。 そう、女の身体っていうのを自覚したのと同時に、男の人の身体っていうのも知ってしまったから。男性が女性を求めること、行為そのものの意味するもの、そのためにする愛撫の理由...アレは全部身体に与えられる快感を引き出すためのことで、身体を繋げるときの事を思い出すだけで赤面してしまう。 そういう意味で意識もするようになったけど、芸風が変わらないように出来るだけ本番では気をつけるようにはした。 「ナツキ、元気ないね?これでも飲んで元気出すんだよ!」 ねえさんにはあたしが気落ちしてるように見えたらしい。あたしを励ます会だとかいって催してくれた飲み会でも、お酒を差し出しながらヨシヨシと頭を撫でてぎゅってしてくれる。 だけどなにも聞かない優しい人達。 あたしの中の戸惑いや、変化、王子にふさわしくないと自分でつけた傷跡まで、まるで見えるみたいな労りようだもの。 女でお笑いやってて無神経な言葉で笑いを取る芸人でも、裏を返せば今まで傷ついてきた自分を乗り越えた勝ち組ばかり。強い分だけ同じ傷にも敏感なのかも知れない。あたしが話すまできっと聞いてこないと思う。たぶん、にいさんから聞いてるはずなのに... こうやってやたらと飲み会に誘ってくれるのもそれでだろう。あたしが寂しくないようにって、ねえさんたちの心遣いだと思う。 「なっちゃん、どうや、今夜久しぶりにうちに飯食いに来へんか?うちのやつもおまえに会いたがってるから。」 別口で、事情を知ってる雨村のにいさんがやけに優しい目で誘ってくれる。 かたや人気アイドルデュオの片割れ、こっちはお笑い芸人のはしくれ。上手くいかないことなんか、端からわかってたのかもしれない。 「なあ、晃一から連絡はあるんか?」 「ん、まあ...先週、まだコンサートで地方だってメールが来てたけど。」 そろそろ帰ってくるのかもしれない。 「そっか、あいつも不精たれやからなぁ...」 にいさんが慰めの言葉を言ってくれるけど、別に慰められたいわけじゃなかった。いっそのことはっきり言われた方がましだった。『おまえは単に遊ばれただけなんや、あきらめろ』って言われたかった。そのほうがすっきりして踏ん切りもつけられそうだもの。 「けど、おまえも返事あんまりせんのやろ?元々おまえ、メールして来ん方やしなぁ。」 「だって...コンサート中やったら迷惑やろうし、」 なんて返していいかわからなくて、なんて恥ずかしくて言えなかった。だけどそんなこと、本人から聞いたんだろうか...まさか様子見てくれと頼まれたとか? 「何で迷惑やなんておもうんや?な、それともなんかあったか?誰かから何か言われたとか...」 「べ、別に何もないよ。だって、様子伺いのメールなんかしてこなくったって、あたしはしつこく待ったり、誰かに言ったりしないのに...」 「ナツキ、おまえなぁ...はあ、まあええわ、後ちょっとしたら晃一も戻ってくるやろし、そしたらちゃんと逢うんやぞ。ちゃんと奴の話聞くんや、ええな?」 逃げるなよ、とにいさんは付け足した。あたしはその時、その言葉の意味がよくわかってなかったんだと思う。 「森沢ナツキさんですか?」 「え、はい...」 突然事務所を通じて呼び出された先に向かうと、そこにはスーツ姿の男性が数人待ちかまえていた。うちの事務所の社長なんかはすっかり小さくなってる。相手の男性達は体格がいいと言うよりも姿勢がよく、一種の凄みをもってるような感じだった。一人は知った顔、スニーカーズのマネージャーさんだったと思う。現場でなく統括マネージャーさんだからしょちゅう見たわけじゃないけど、練習の最初の頃来てたし、舞台最後の日も来てたはず。 「オフィスJ&Mの藤堂です。今日はスニーカーズのマネージャーから話を聞いて来たのですが、用件はおわかりですよね?」 中央にいる堂々とした体躯の持ち主の男性が、名刺を差し出しながらそう切り出した。 なるほど、一見さんお断りの料亭に呼ばれた理由はそれだったか...誰にも聞かれてはいけない話だものね。 あたしはしばらく目の前に置かれた名刺を見つめていた。藤堂という男は脅すでもなく、ただ静かに座っていただけだけど、とてもじゃないが視線を持っていくのが怖いほどの迫力だった。普段はそこそこはったりをかますうちの事務所の社長もさっきから必死で額の汗をおしぼりで拭いる。 「澤井晃一はまだまだ大切なうちのアイドルなんですよ。ちまたでよく王子様なんぞという呼び名で呼ばれるほどの容姿と人気を持ち合わせたスターです。」 そんなこと説明されなくても、よぉくしっている。 「澤井はどちらかというと男友達と一緒か、自宅に居るタイプでしてね、あまり女性の居るところには出向いて行かないので、事務所としても安心していたのですがね、先日から何度か森沢さんの所にお世話になっているそうですね。」 「え?」 なんで、そんなことまで知ってるの?? 「ここのところうちも不祥事やスキャンダルが続いてましてね、雑誌社もかなり狙ってきてます。これ以上増やさぬようにと、タレントの安否は確認させているんですよ。特に、舞台の打ち上げのあと、女優陣に引き回されてはいけないと思っていたんですが...まさか森沢さんが相手とは、全くの想定外でしたよ。」 馬鹿にするでもなく、淡々と紡がれる言葉は回りくどくとも何を言わんとするかはわかりきっていた。 「あの、うちの森沢がなにか?」 ここに来た理由を知らされてなかっただろう社長が恐る恐る言葉を挟んだ。 「正直に申しましょう。美しい女優陣や可愛らしいアイドル相手ではいい宣伝にもなりますが、お笑い芸人のあなたが相手ではあまりにも澤井のイメージを崩しかねないんですよ、森沢さん。」 「ナ、ナツキ、おまえまさか澤井さんと...」 心配げに聞いてくる社長。そうだよね、誰が聞いたってまさかだよね。 「確かに逢ってました。でも違いますよ、気があったんで二人で飲み明かしただけです。あたしが男みたいだから気を使わなくてよかったんじゃないですか?」 うそばっかり...でも本当のことなんか言えないよ。 「そ、そうなのか??よ、よかった...まあ、まさかおまえが相手になんかして貰える分けないよな?わかってたんだがそういわれると私としても一概に違うとは言い切れなくてな。おまえもまあ、曲がりなりにも女なんだし、間違いがなかったとは言い切れなくてな。」 ごめんね、社長嘘ついてるよ、あたし。だって、王子に迷惑かけたくないから。だけど藤堂って男はそんなんじゃ騙されてくれそうにない。 「本当ですか?マネージャーが度々親密そうにしてるあなた方を見てるんですよ?それに、晃一は女性の部屋に一人でいったりする疑わしい行動を取ったりしない方なんですよ。必ずマネージャーや仲間を連れて行きます。だけどあなたに関しては、ほとんどが単独行動を取ってる。マネージャーがおかしいと思ってチェックしてくれていたのですぐにわかったのですよ。まあ、大人同士ですから、あまりうるさくは言いたくありませんが、スクープ雑誌に取り上げられる様な真似だけは勘弁してもらいたいんですよ。今度、澤井に映画の話がありましてね、出来ればそちらと話題になってもらわないと困るんですよ。だから...」 藤堂さんに、小さな声で部屋に泊まったことも指摘された。 そう、アレは事実...だけど、今それを認めちゃうと絶対王子に迷惑をかけてしまう。 「仲はいいですよ。同県人ですし、地元も近いですし歳も近いから話も合います。男同士、みたいな付き合いじゃだめですか?」 あたしって構えたり、マジで嘘つくときって標準語になるんだよね。だっていつもの言葉だったらすぐにぼろが出るから。 「では、出来るだけ二人っきりでの接触は避けて頂きたい。今回はマネージャですみましたが、本当にスクープされていたら笑い話にもならない。いくら何でもうちのタレントとお笑い芸人さんではイメージダウンにもほどがある。それにこの先仕事もしにくくなりますでしょう?出来ればそちらさまとは、特に森沢さんはうちの天野と野球がらみで絡んでもらいたいと思ってますのでね。是非友人で通して頂きたいものです。」 もう王子との仕事は無いって事?きちんと仕事を守れば他の仕事は回すって事だよね?さすがの交渉上手に感心する。 藤堂さんの目はあたしの言うことなどこれっぽっちも信じてないようだった。だけどあたしも負けたくなくて真っ直ぐ見返していた。正直ビビるけど、嘘ついてるけど、この人に決められたくない。逢いたくないって言うのも、相手にしたらイメージ壊れるって言うのも全部王子から言われた方がいい。こんな、事務所にとやかく言われるのなんて嫌だから。 その緊張を破ったのが社長だった。 「いや〜、ホントにもう、私が言うのもなんですが、この森沢っていうのは男みたいな見かけですが、中身はほんとうに可愛い娘でしてね〜うちだって大事な娘を傷物にさせたくないですから、いらぬ嫉妬や中傷を受けてダメにしたくないんですよ、藤堂さん。」 「社長?」 いつもの社長と違う、のんびりした口調とは裏腹にしっかりと真正面から藤堂さんに相対していた。 「こっちは女の子ですしね、別に誰かとのロマンスやスクープで話題になりたいタレントじゃないんですよ。森沢ナツキのイメージはこっちも守りたいんだ。うちとお宅とは一緒に仕事させてもらってる仲だが、うちが引いてもそちらも困るんでしょう?」 社長がそんな天下のJ&Mに喧嘩売るようなマネするなんて...それもあたしの嘘を信じてだよね?何だかすごく申し訳無くなってくる。 (ごめん、社長...あたし、嘘ついたよ) ホントはそうじゃない。だけど、認めるわけにはいかなくなっちゃってきてる。社長にもいつも可愛がってもらってる。団長の知り合いでうちの劇団員はほとんどがこの事務所でお世話になってるんだから、こっちにも迷惑はかけられない。なのに... 「そちらもナツキに近づかないよう気をつけてくださいよ。どっちもが本気だって言うんなら考えますけどね。」 え?社長?今なんて... 「そちらがそのつもりなら、こちらも考えがありますがよろしいのですか?」 「そんなことしても、お互いにメリットはないでしょう?本人の気持ち無視してるようじゃ、タレントはのびませんよ?澤井君だって今じゃ充分実績を積んだ実力派だ。噂や少々の醜聞に左右されないないでしょう?そう調整するのが私らの仕事だ。今回、森沢を連れてこいと言ったのは彼女に釘を刺すつもりだったんでしょうが、この子が友達と言い張るんならそれでいいじゃないですか。お笑い芸人だって森沢は女なんだ。あまり侮辱するような言動は以後避けて頂きたい。もちろんこちらも、醜聞の立たないようにタレント全員に努力はさせますので、どうかよろしくお願いします。」 言うだけ言ってさっと頭を下げた社長がすごくかっこよく見えた。 それに比べてあたしは...本当のことすら言ってない。 「わかりました。では、気をつけていただくということで、今後もいいお付き合いをさせて頂きたいですな。」 苦虫を噛んだ様な表情の藤堂はそういい残した。 J&Mの人たちが立ち去ったあとの部屋であたしは思わず脱力していた。 「ナツキ、大丈夫か?帰れるか?」 「はい、なんとか...えっと、あの、社長、あたし...」 「ん?ああ、聞いてるんだよ、雨村からさ。おまえの嘘なんてバレバレだよ。向こうも信じちゃ居ないだろうけどな。ちなみに団長も知ってるぞ?だけどな、あれだけ言い切ったらしばらくは気をつけろよ、見張られてると思ってもいい。」 「はい...」 「『まだはじまったばっかりだから』って、雨村が頭下げるんだよなぁ...あいつ澤井晃一とは前から仲良かったけど、おまえのことも可愛がってたから、ん?おい、泣くなって、ナツキ。」 あたしは、泣いていた。 ずっとみんなに見守られていた。この厳しいはずの芸能界の仲で、劇団というぬるま湯でぬくぬくと育てられてきた。先輩という仲間に見守られてきた。 あたしって、こんなに頼りない存在だったんだろうか?男の子みたいにしてずっと生きてきた。もっとしっかりしてるって、思ってたのに...始まったばかりの恋をみんなが思いやってくれているんだ。あたしがふがいないから... みんなにも迷惑はかけたくない。 だから、今は離れてる方が、きっといいんだ。みんなが応援してくれるほど、あたしはこの思いを貫く自信がないから。だから、このまま逢わずに距離を置いたほうがいい。安易に逢ったりしちゃいけないんだ。 なのに、なぜ王子はそこに居るの? 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素材:CoCo*